朝起きてからの1時間は、軽トラで田んぼを周りながらコンビニでホットコーヒーを注文して、そのコーヒーを飲みながら稲の生育状況を見て回るのが日課になっている鈴忠です。

さて、今日は「正しい事を言っても、それが悪に変わることがある」について書いてみたいと思います。

では、早速…。

「正しい」だけが「正しい」とは限らない

自分が「正しい」と思うことを貫き行動や言動に一貫性をもたせたとしても、そもそも人間に一貫性はあり得ません。

なぜなら幹(自分の考えの中心部)から出る枝葉まで一貫性を持たせることは出来ないからです。一貫性は、変化の激しい現代においてはリスクになり得ます。ただし、自分の考えの中心部である幹には、一貫性を持たせなければいけません。

結局、一貫性は持つのか?持たないのか?どっちなんだ!と、思うかもしれませんが、つまり一貫性は、どこを切り取るかによって、“変化”するということです。

例えば、私の根幹部分は『家族を守る』や『自由』であったりします。だからこそ、この部分は曲げられません。しかし、ここから出る枝葉については、臨機応変に変えていってイイんです。

臨機応変に対応すると一貫性がない!と、思われます。はたから見るとそう思われます。しかし私の中では、一貫性を持っています。

ここで大切になるのが、抽象度の問題(視点の問題)になるのですが、それは経験と知識から学ばなければいけません。

ということで、具体例をあげてみましょう。

これから、確実に「インフレ」が来ると考え自給自足を行い、家族を守ることに重点を置いたとします。しかし、人間には「欲」があるので、自給自足の過程でもう少し多くの人を守りたいと考えます。叶えるためには、コストがかかるので採算を考えなければいけません。できなければ幹の部分にまで影響を及ぼすので真剣に考えます。しかしその行動は、はたから見ると「悪」へとうつります。

もっと抽象度をあげてみましょう。

世界の人口は増え続け、このままでは「地球は壊れてしまう」だから「地球を守りたい」と考えたとします。その場合、今後も人口が増えて行くことは「悪」になります。多くの人にとって人の命を守ることが「正しいこと」なのに、地球規模で考えると人口を減らした方が「正しいこと」になってしまいます。エネルギーも同じで、「炭素」の排出量を抑えなければ、地球温暖化が進み「地球が壊れてしまう」だから、脱炭素を掲げ、「電気」へと変換していくことが「正しいこと」になります。私たちの電気代が上がり、生活が苦しくなっても将来的に地球が良くなるなら、それは「正しいこと」になるのです。

いずれの事象も、どこを切り取り見るかによって物事は変わります。切り抜きによって如何様にも考え方は変えられるのです。大切なのは、切り抜きが考え方を変えるのではなく、自分の幹(中心部)が考え方を決めているということです。

ほとんどの人は、この幹の部分がハッキリしていないため、切り抜きによっていかようにも流されてしまうのです。

「正しい」だけでは、「正しい」を貫き通せない

「正しい」と思う根幹部分(自分の考え方の中心)を貫き通すには、「正しい」だけではダメで「正しくない」が必要になってきます。「正しくない」は多くの人を傷つけるかもしれませんが、「根幹部分」を貫き通すためには必要な手段になります。

「生きる」を目標にした人にとって、「生きる」ために行った「強盗」は「正」になります。しかし、多くの人にとって「強盗」は「正しくない」に分類されるので、結果その人は罰せられます。

身近なモノから、世界的なモノまで、この現象が重り合って世の中を形成しているので、世の中は歪んでいるのです。

再帰性理論

ソロス氏の再帰性理論について考えてみましょう。(中国発!世界恐慌の可能性・・・)

私たちが見た現実を、あなたに伝えようとした場合、私の思考や主観が入ってしまうため現実とは違う現実を伝えてしまい、これを『現実´』だと認識します。あなたは私から聞いた『現実´』を別の人に伝えようとすると、あなたの主観が入ってしまうので『現実´´』となります。

これを永遠に繰り返していくと現実からかけ離れた現実´´´´が末端の人には伝わり、本当の現実が何だったのか分からなくなります。認識している世界に誤差が生じて「本当の現実」が見えにくくなるのです。

まとめ

「正しいこと」が「正しいとは言えない」ことがあるかもしれません。それは自分の根幹部分を叶えるために必要なことなのかもしれません。しかし、それでも大切なことがあります。それが「共通認識」と「つながり」です。

時代は「個の時代」といわれています。その本質は「個人」が自由に発信できる環境が整い、自分の中心にある考えをWeb上で伝え、その考えに「共感」できる人たちを集め、その人たちと繋がることによって、より人生を楽しいものにすることにあると考えます。

わたしが米作りを通して伝えられることは、今は『攻める』ではなく『守る』の時代に入ったよ、ということです。時代の流れに臨機応変に対応し、一貫して自分の考えを守っていきたいと思います。

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